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SAIZENSEN HIPHOP コラム

Deprive

シカゴのWACKER DRIVE(地下ホームレス街)から名前が飛び出し、
シカゴProjects(CABRINI GREEN)をバックグランドに持つ唯一不二の男。
シカゴギャングスターの地位を自ら築き上げた日本人ラッパー「Deprive」!!
17歳から29歳に至る12年間すべての時間をシカゴに捧げ、全てのLIFEをシカゴで過ごす。
事実だけを追求し、日記感覚で曲に載せ、そして、RAPが始まれば沸き立つ存在感。
リアルでノンフィクションを歌った説得力あるリリック。
その「Deprive」が2008年秋ついに3thアルバムを完成!!
これからシカゴを飛び出し、日本でも重要人物として注目されるだろう。
■16歳の時に英語も分からないのに、高校を中退してまで渡米したとありますが、なぜそのような行動を取ったのですか?その時の気持ちは?
一番の要因は日本に地元が無かったのと、若かったからですかね。気持ちの変化と言うよりは、先に行動だったかな。英語なんてアメリカ着いてから本当に苦労しましたよ。別にアメリカに夢を追いかけてきたわけでも無いし。日本に居た時は、周りを見ていて地元がある人が羨ましかったのかも知れませんね。転勤族だった俺にそんなの無かったから。だから、どこかに飛び出すのに考えて行動と言う形にならなかったんですよね。誰かに相談したわけもないし。相談相手も居なかったですし(笑)。
■バックグランドにシカゴProjects(CABRINIGREEN)を持つと聞いていますが、そのProjects(CABRINIGREEN)はどんな所ですか?又、その場所で日本人として受け入れられた出来事やキッカケを教えてください?
CABRINI GREENは、昔SWATとギャングが戦争になった場所でもあるんですよ。民間の警察じゃどうしようも出来なくて。どんな所と聞かれても一度Projectsに入った事ある人なら説明も楽なんですが。基本、普通のProjectsとなんら変わり無いのですが。普通の人が一人も居ないって所じゃないですかね。普通のProjectsなら一人くらい普通に貧乏な人が居るんですが。CABRINI GREENの場合、全員どっかのギャング組織の人間で色んなギャングメンバーが入り乱れてる状態の中で生活してるので。そこが違うのかも知れませんね。結構ビルによってまとまってる Projectsが多いので。15分に一回は銃声がどっかで必ずする。そんな場所かな。今は、州でビルも取り壊され一個だけになっちゃいましたが。まだ健在ですね。受け入れられたきっかけと言うか。もともとホームレス内で有名だった僕が自然とProjectsに出入りするようになった。そこが、CABRINI GREENだったと。ただそれだけじゃないかな。後全てのきっかけは、僕がシカゴでJAIL(刑務所)にそいつらと入ったところから結構流れが変わったかな。後は、俺は相手に嘘をつかれても、俺は嘘をつかずに、最後まで信じきった所かもしれませんね。逃げ場所が無かったので。信じるしか選択が無かったし。
■日本で自主制作した1stアルバム「Nonphixion」と2ndアルバム「You like?」を完成させる間に気持ちの変化があったと思いますが、その変化の違いについてのエピソードを教えてください。
昔の事で全部の気持ちがフラッシュバックするわけではないですが。日本での受け入れられ方とシカゴでの僕に対しての受け入れられ方がまったく逆だったと言うか。作品を好んで聴いてくれる人間がシカゴでは多かったんですよね。変化と言うかシカゴには、俺を大事にしてくれる人間が多かったのが変化なのかも知れませんね。
■そして、3rd アルバム「juvenile a is dead」で大きくスタイルを一転して英語での挑戦を始めましたが、その理由は?
単純にシカゴの人間が日本語だと理解できないからチャレンジしたんですよね。もうその時は、日本人に聴かせると言う選択権は自分には無かったので。それに、その3rdのちょっと前にシカゴのホームレスの奴らに、シカゴの看板背負って俺たちの理解できる言葉で伝えてくれと言われてたので。毎年、俺の曲聴いててもタイトルしか理解出来なければ人間欲も出ますしね。俺も色々命の面で世話になってたし。最初は恩返しのつもりだったと思います。
■24歳で初めてシカゴのアーティストを参加させた4thアルバム「Guess who?」でNeva Everというアーティストが参加していますが、Neva Everとのエピソードは?
彼は、元々俺が入った刑務所で同じ部屋だったんですよ。っで、一年位かな。年月が過ぎて、俺一度日本に帰ってたんです。その二ヶ月くらい後だったかな。国際電話で俺の友達でポトリカンギャング組織のCOBRAの奴が居て。名前はAMEZEと言うんですが。電話で俺にプロデューサーを紹介したいと言い出して。二ヵ月後にシカゴ帰って紹介されたら、JAILで同じだったNevaEverだったと言う流れです。それよりもっと面白かったのがAMEZEとNeva Everは同じアパートに住んでたと言う。ある意味運命ですよね。
■シカゴで、レーベルSun-MoonEntertainmentを設立し、レコーディングから製作全てをシカゴで行なった5thアルバム「Chi TownConference」の製作と同時期に起こったDepriveのLive中の銃乱射事件について聞かせてください。
こんな事態は、別に一回だけじゃなかったんだよね。この前にも先にも同じような事はあったかな。個人的にも銃声聞いてもあんまり反応しなくなっちゃってたし。慣れは怖いですね。事の発端は、ジェラシーですね。僕や僕の周りはみんな違うギャング組織の人間なんですよ。それも寄せ集めに近い形な訳ですよ。俺がどこにも完全に属しきってなかったからかも知れませんが。っでそれを面白くないと思う人も多いわけで。そんな噂が流れてた時に起きた事件だったので。ただ、相手も3mmで俺を殺そうとしたらしいんですが。ただ、9mmは警備を潜って持ち運べるはず無いとは思ってたんですが。3mmは無いですよね。俺を殺すならショットガンで撃ち抜けよって話を友達とよく笑い話でしてましたが。その時に俺を殺せなかったのが色んな意味で彼の痛手だったかも知れませんね。
■今回のアルバム「Nosunshine」を自主ホームページ販売のみにした理由は?
全て自分でやってみたかったし、俺の周りの奴らのCDもリリースが決まってたから。ならこの際自分でやろうと思って。それなら、誰の指図無く好きな物置けるし。管理も自由に好きな形でできるし。後少しやり方覚えたら、別に流通通す必要も無いかなって思って。
■最後にSAIZENSEN HIPHOP読者に一言お願いします。
今の所、日本での活動は考えていませんが。近い将来あるかもしれません。個人的に日本は大好きなので。日本でもCDが買える状態は作ってありますし、シカゴを感じたいって思う人は是非聴いてみてください。僕名義のソロは正規でも3枚出してるので。次は、2010年位を予定して製作しようと思ってるかな。ただ、来年は僕がシカゴで組んでるCREW、The cloth名義でアルバムを冬くらいにリリースしようと思ってる。これも、多分僕の運営するWeb shop限定になると思う。後、来年はフィギュア会社TOPのオーガニックから俺のプロデュースする12inchフィギュアが出る予定。それに、今製作中のCDを同封予定です。12月は日本に仕事少々で、年末年始過ごしに行こうと思ってますし。来年も色々目白押しだと思うので、応援宜しくお願いします。I love y`ll。
 
そして、6thアルバム「International Thug」でEDDIEG、シカゴの歌姫YVONEGAGE、Stannchampionと、T.WILとそのパートナーDTour、エンジニアのSteveAndersonをメンバーに加入し、7thアルバム「Nosunshine」(正規3枚目)ではTechnoDisciple、Bleedo、Stevboを新たに加え、更に飛躍していく・・・

<リリース情報>
「NO SUNSHIN」
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